空の青さを知る人よの慎之介(しんの)の正体は?消えた理由のおにぎりについても
映画「空の青さを知る人よ」最大の謎といえば過去の慎之介(しんの)の正体だと思います。
しんのの正体は、クライマックスの茜スペシャルの共鳴や、空を飛ぶところを見ると、茜スペシャルに残された慎之介の思いが具現化した生霊のような存在だったのではないでしょうか。
今回はしんのの正体と、消えた理由をキーポイントとなるおにぎりにも注目して考察してみます。
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空の青さを知る人よの慎之介(しんの)の正体は?
しんのの正体は、慎之介の茜への強い気持ちとかつての茜スペシャルに残した思いが融合した「生霊のような」存在です。
しんのが現れた理由は2つ。1つは茜への思いを閉じ込めることでしか進めなかった慎之介がもう一度自分と向き合うこと。もう一つはあかねへの未練から、あかねと慎之介をくっつけるためです。
しんのが消えたのは、あきらめかけていた夢が途中だと気づいた慎之介の気持ちと、あかねがもう一度慎之介に向き合ってくれたことがわかったからです。
それでは一つずつ詳しく見ていきましょう。
(ややこしいので現在の姿=慎之介、過去の姿=しんのとよびます。)
しんのの正体は過去と現在の慎之介の思いが融合した「生霊のような」存在
しんのの正体は慎之介の茜への強い気持ちとかつての茜スペシャルに残した思いが融合した「生霊のような」存在です。
ツグがしんののことを「実体があるから生霊ではない…と思う」と話していました。
生霊とは「生きている人間の霊魂が体外に出て自由に動き回るといわれているもの(wikipedia)」とされています。
また、生霊は恨みや殺意といったネガティブなイメージとや、死の間際の人が会いたい人に会うために生霊となる。といったエピソードが多く「しんの」っぽくありませんでした。
生霊は死や殺意といった強烈な思いから生まれる存在でありますが、慎之介のあかねに対する思いはそこまで強くはありません。
では、なぜしんのは存在できていたのでしょうか?
キーワードとなるのは「慎之介の夢に対する思い」「あかねスペシャルに残されたあかねへの思い」「お堂」です。
慎之介の夢に対する思い
しんのが現れたのは慎之介が過去の思いと向き合うと決めたときからです。
慎之介はあかねに振られた後、「ビッグなミュージシャンになって、あかねを迎えに来る」と決めました。
しかし、慎之介の現在の自分の姿は「ビッグなミュージシャン」とは程遠い存在になっており、夢を追い続けるのかやめてしまうのか葛藤しています。
そんなときに、慎之介が所属するバックバンドの雇い主・新渡戸団吉が秩父に呼ばれることになり、慎之介は夢を叶えていない状態で故郷に戻ることになりました。
慎之介は今までガムテープでぐるぐる巻にして封印していたかつてのギターケースから高校時代の写真を取り出し、夢と茜への思いにもう一度向き合おうとします。
向き合おうという気持ちが、あかねスペシャルにかつて置いてきたあの頃の強い気持ちと共鳴することによりしんのが生まれるきっかけとなります。
あかねスペシャルに残された思い
あかねスペシャルは、慎之介にとって宝物とも言えるギターです。
しかし、あかねに振られた慎之介は前に進むために、あかねへの思いを閉じ込めるようにあかねスペシャルをお堂に置いていきました。
しんのの存在の大部分を占める要素は、あかねスペシャルに残された思いとも言えます。
しんのがお堂から出られないのも高校生時代の慎之介が閉じ込めた思いが強かったからです。
慎之介は「東京行ってバンド組んでガンガンライブしてデビューして。ビッグなミュージシャンになって、毎日楽しく過ごす」ことが目標でした。
しかし、その目標はあかねと一緒に居ることが前提だったのです。
あかねに東京へは一緒に行けないと言われたしんのはショックで「もうどこにも行きたくない」「ここ(秩父)から出ていくのが怖い」という思いだったと言っています。
しんのは「どこにも行きたくない」と思っていましたが、実際には慎之介はあかねへの思いや秩父から出ていくことの恐さを閉じ込めて前に進みました。
閉じ込めた思いはずっと慎之介の中でくすぶっていたということは、相当に強い思いだったことが伺えます。
そして、慎之介の過去に向き合おうとする気持ちと、過去に閉じ込めていた思いに繋がりができたことによって、あかねスペシャルを媒介にしてしんのが現れたのではないでしょうか。
お堂の元ネタとなった熊野神社の力
さてここで少し視点を変えてしんのの存在について考えます。
現在の慎之介と過去のしんのの思いが共鳴してしんのが生まれたことは劇中でもなんとなくわかります。
しかし、その思いだけで実体を持てるのかというと少し疑問が残ります。
そこでしんのが現れたお堂に注目してみました。
お堂は「熊野神社」という場所をモデルにしています。
熊野神社は『イザナギ・イザナミ・スサノオ』という神様を祭っている神社で、この三神は「むすひ」の神様と言われています。
「むすひ」とは「ものが生まれる力」のことで、この力がしんのの存在に影響を与えている可能性があります。
あと、ロマンチックな影響としては「イザナミ・イザナギ」は縁結びの神様とも言われており、もしかしたらスタッフも狙ってこの神社を選んだのではないでしょうか?
ずっとお堂に置いてあったあかねスペシャルに「ものが生まれる力」と「縁結び」の力が宿り、しんのは付喪神のような存在となって現れたと考えることもできそうです。
しんのの正体まとめ
しんのの正体は「慎之介の過去に向き合う気持ち」と「過去のあかねと夢に対する思い」に「お堂の力」が宿ることによって生まれた「生霊のような」存在です。
しんのは実体を持っており生霊の定義からは外れています。
しんのがお堂から出られたときにあかねスペシャルが反応していたところを見ると、生霊というよりは付喪神や精霊のような存在と考えたほうがしっくりきます。
なので、「生霊」ではなく「生霊のようなもの」と表現しました。
また、「空の青さを知る人よ」の制作チーム超平和バスターズの別作品「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」のめんまも似たような存在でありますが、あちらは明確に幽霊とされています。
しかし、めんまの正体についての仮説の一つに「サボテンの花の精」という説もあるため、しんのも「あかねスペシャルのに宿った精」と考えることもできます。
ゆえに、しんのの正体は「慎之介の強い気持ちと、かつてあかねスペシャルに残した思いが融合した『生霊のような』存在」だったのではないでしょうか。
しんのが消えた理由とおにぎりの具の意味とは?
しんのが消えた理由は、慎之介がビッグなミュージシャンになる夢を諦めないと決意したことと、あかねが慎之介への思いに応えようとしてくれたからです。
しんのは「ビッグなミュージシャンになって、あかねを迎えに来る」という夢を諦めさせないために現れています。
慎之介は夢を諦めないことを決意しました、同時にあかねも慎之介への思いに応えようとしていることが分かったため、しんのは役目を終えて消えてしまいます。
あかねの思いの移り変わりは、冒頭からずっとおにぎりの具で表されていました。
あかねのおにぎりの具の意味は「昆布=あおい」「ツナマヨ=慎之介」
しんのが消えた瞬間というのは、あかねがおにぎりの具をいつもの「昆布」から「ツナマヨ」も握ろうとしたことを知って満足そうに消えていきます。
昆布とツナマヨはそれぞれ「あおい」と「慎之介」の好物となっており、あかねはあおいの好きな「昆布」をずっと握っていました。
昆布にたいして、慎之介は「また昆布だ」とたびたび言っています。
親をなくしたあかねにとってあおいは唯一の家族であり、大切な存在でした。
同時に慎之介への恋心もありましたが、一番はあおいであったため常におにぎりの具は昆布でした。
しかし、慎之介やしんのを通して、あおいの成長を感じ取ったあかねは区切りをつけて「今度はツナマヨのおにぎりも握ってみようかな」と「昆布=あおい」だけでなく「ツナマヨ=慎之介」の思いに応えたということです。
まとめ
・しんのの正体は過去と現在の慎之介の思いが融合した「生霊のような」存在。
・しんのは慎之介に「ビッグなミュージシャンになって、あかねを迎えに来る」という夢を諦めさせないために現れた。
・消えた理由はあかねのおにぎりの具が「昆布=あおい」から「ツナマヨ=慎之介」に変わったから。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!