映画三度目の殺人の最後のセリフただの器の意味は?真犯人は誰だったのか考察
三度目の殺人の福山雅治演じる重盛の最後のセリフ「貴方はただの器?」
三隅のことを指して言っているのは明白ですが器とはどういう意味なのでしょうか。
三隅は人の気持ちを受け止める器で代行して殺人を犯したという意味でしょうか。
器の意味から結局犯人は誰だったのか考察してみました。
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三度目の殺人の最後のセリフただの器の意味は?
三度目の殺人最後のセリフ「貴方はただの器」とは三隅が器だということを指しています。
「器」とは何かを入れるもの。では三隅の中に何が入っていたのでしょうか。
それは、他人の気持ちや思いだったのではないでしょうか。
器の意味は誰かの思いの受け皿となる三隅のこと
役所広司演じる三隅高司は人の考えていることがわかってしまう能力を持つ人間です。
それは劇中のガラス越しに手を合わせた主人公・重盛の娘の情報を言い当てている事からわかります。
また三隅は基本的には空虚な人間です。
ピーナッツバターをたっぷりつけたパンを頬張るシーンは何も考えていない様子が描かれています。
このことから三隅は他人の考えや感情を読み取り、空っぽの自分に他人の強い感情を入れてしまうのではないでしょうか。
殺意や怒りといった強い感情が三隅という器にいっぱいになることで彼が犯行に及ぶのです。
一度目の殺人は、借金取りへの恨みで事件を起こしています。
重盛がこの事件について調べた時、当時の刑事が三隅は駅のベンチでぼーっとしていたと語っています。
そして、そんな三隅を「空っぽの器のようだった」とも。
三隅ではない多数の借金取りへの恨みや殺意が三隅の器に一杯になり殺人を犯したのではないでしょうか。
そして犯行後はその殺意が器から抜けていき空っぽの状態になってぼーっとしていたと思われます。
当時の裁判中でも言うことが度々変わり、動機が不明確でした。これは三隅自身に動機がなく、ただ殺意を代行しただけだったからです。
二度目の殺人は咲江の思いの器となった
広瀬すず演じる咲江は14歳の頃、実の父親に性的暴行を加えられていた。
また父親は会社で食品偽装を行っており、咲江は自分が汚い金で育てられたことを自覚していた。
咲江は心の奥で父親のことを死んでほしいと思っていたと語っています。
三隅は自身の娘と重ね合わせていたのか咲江の感情に同調してその殺意で器を満たします。
そして、咲江の思いを代行するかのように犯行に及びました。
ラストシーンでは重盛が「咲江のために殺ったのではないか」と問います。
しかし三隅は「それはいい話だ」といって否定しています。
なぜなら動機は咲江の殺意をただ代行しただけなのだから他意はないということです。
接見室では空っぽの器の三隅に重盛が取り込まれていく
接見室では重盛と特に強く同調しているようでした。
それは共通点もあったがゆえなのかもしれません。
ふたりとも北海道出身。
そして三隅も重盛も自分の娘とは不仲でした。そして重盛は子供の頃、裁判官に憧れていました。
三隅もまた人の命を自由にできる裁判官に憧れていました。しかもその時の裁判長は重盛の父親。
接見室で重盛と三隅が手を合わせるシーンで三隅の空っぽの器に重盛が取り込まれます。
その結果、2人は「人間の意志とは関係ないところで命が選別されている」と同じ考え持つまでに至ります。
これは三隅が重盛の考えに同調していったからです。
重盛もまた三隅の影響を受けて「ストックホルム症候群」のように三隅の考えに同調していったのではないでしょうか。
最後の接見室のシーンで三隅と重盛の顔が重なったとき完全に同調。
この時、重盛は三隅が「ただの器」だということを完全に理解したのだと思います。
三隅が「他人の感情に同調してそこに殺意があれば代行してしまう」ただの器なのだと。
結局犯人は誰だったの
三度目の殺人の犯人は「三隅」だったと私は考えます。
ガソリン臭い財布やタクシーなど状況証拠があげられます。
加えて、三隅が他人の感情を自分の器の中身としてしまう性質も理由の一つです。
三隅は咲江の殺意を代行したと考えるのが順当かなと思います。
犯人は咲江の気持ちを汲み取った三隅
「器の意味」であげたように三隅は人の気持ちを汲み取り殺人を代行してしまいます。
三隅は咲江の「父親は死んでほしい」という思いを忖度して殺人を行いました。
混乱するのが咲江が父親を殺し血を拭うシーンで咲江が犯人なのかと疑ってしまいます。
しかしその直後に血を拭う三隅のシーンが挟まれ、これは咲江の殺意を三隅が代行したという意味に私は捉えました。
だから咲江は関係なく、重盛の最後の「咲江さんのために殺したのではないか」という問いに三隅は否定。
そちらにせよ殺害をしたのは三隅なので犯人が三隅であることは事実なのだと思います。。
結局犯人は三隅だと是枝監督が言っている
犯人について色々考察されている中、是枝監督は犯人は三隅であると語っています。
是枝監督は三隅役の役所さんの演技を見て「これ……殺していないんじゃないかな……こんな脚本を書いたかな……」と言っています。
(参考URL:https://filmaga.filmarks.com/articles/1440)
このことから監督は最初から三隅を犯人であると設定していたとわかります。
監督が自身の脚本に自信をなくすような役所さんの演技に私達も混乱させられたということですね。
まとめ
・三度目の殺人の「器の意味」は三隅が他人の感情を読み取り同調してしまうという意味。
・劇中の状況証拠や三隅が咲江の気持ちを忖度したことから犯人だとわかる。
・是枝監督は最初から三隅を犯人として設定していた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!